碧南市藤井達吉現代美術館 企画展

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飾り没後130年 山中信天翁と幕末維新

山中信天翁と幕末維新

 

展覧会名

没後130年 山中信天翁と幕末維新

会期

平成27(2015)年 01月23日(金)から

平成27(2015)年 03月08日(日)まで

観覧時間
10:00-18:00 (入場は17:30まで)
休館日

月曜日

観覧料

一般400(320)円
高校・大学生200(160)円

小・中学生100(80)円
※()は20名以上の団体

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 本展は、碧南が生んだ幕末維新期の文人、山中信天翁(1822~85)の没後130年を記念した展覧会です。山中信天翁は文政5(1822)年に三河国碧海郡棚尾村東浦(現碧南市)に生まれました。信天翁は静逸(せいいつ)と共に号で、諱(いみな・生前の実名)は献(まつる)といいます。山中家は豪農で、父は京都の儒者馬淵嵐山(らんざん)に、信天翁と弟の猷(ゆう)も大坂の儒者篠崎小竹に学ぶという家庭環境に育ちました。
 信天翁は、上方で勤王の志士と交わっていた弟の猷が嘉永7(1854)年に病死したのを機に、弟の猗(き)に家督を譲り、津(三重県)の漢学者斎藤拙堂に学び京都に出ました。京都では勤王の志士と交わるなかで岩倉具視の知遇を得、明治維新で新政府に入り地方官として石巻県権知事などを勤めた後、伏見・閑院・北白川三宮家の家令を勤めました。明治6(1873)年に退隠した後は、京都の下鴨「二水荘」や嵐山の山荘「対嵐山房」で悠々自適の生活を送り、明治18(1885)年64歳で亡くなりました。
 本展では、これまであまり触れられなかった信天翁の経歴について歴史資料を中心にご紹介します。
 また信天翁は、身につけた漢学を中心とした教養をもとに詩文や書画を制作し、煎茶も嗜みました。明治10(1877)年に明治天皇が「対嵐山房」に臨幸の折に、銀盃を賜っています。本展では、こうした文人信天翁の作品や遺愛品、煎茶道具などが一堂に会します。
 勤王の志から岩倉具視の知遇を得、維新後官吏として明治新政府の立上げに尽力した幕末維新期の山中静逸。そして退隠後、日々の生活に書画制作・鑑賞を取り込んでいた文人山中信天翁。二面を持った山中信天翁の世界をお楽しみいただければ幸いです。

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