碧南市藤井達吉現代美術館 藤井達吉について

飾り 講演録「藤井達吉の芸術」【4】

愛知県美術館企画普及課長(講演時) 木本 文平氏

 時代は遡りまして、昭和5年に名古屋市市民美術展が開催されますが、そのとき、藤井達吉は工芸部門の審査員として参画し、彫刻部門の審査員が毛利教武でした。通称私たちは「毛利きょうぶ」「きょうぶ」と言っておりますので、ここでは、「毛利きょうぶ」と言わして頂きました。毛利きょうぶの、因みに申しますと、息子さんが二人みえます。ひとりは毛利武彦さん、これは現在、創画会の会員で活躍してみえます。もうひとりは、現代美術家で有名な毛利武士郎さん(美術館註:毛利武士郎氏は2004年に没)です。以前関係者の聞き取り調査をしたときのことですが、藤井さんの言葉として、ここにお見えになる先生方には、ちょっと聞かないふりをして頂きたいんですけども、「君たちの代はだめだ。君たちの息子か孫の時代に芽が出る」とか、そんなようなことをおっしゃって、いや実は、芽の出ている作家もおみえになりますけれども、これちょっと気を使っていますけれども・・・そういう意味では、例えば、瀬戸作陶会の栗木さんの息子さんは、いま京都芸大の教授として頑張ってみえますし、いろんな意味合いで藤井と出会った作家の関係者は、日本各地で、新たな形で芽ぶいている。そういうことも、ちょっと申し添えておきます。
 まあ、話は思わぬ方向へ進みましたが、話題を元に戻しまして、藤井再評価のきっかけとなったのが、実は、閉館記念で安井さんからお金を頂いて調査致しました旧愛知県美術館の閉館記念展『藤井達吉の芸術』開催準備のための調査がきっかけとなりました。その後、調査のお陰で、実は、大正期の有力なパトロンに私は会うことができたんです。正確にはパトロンの系譜と申しましょうか、遺族と申しましょうか、その中のコレクションを中心にして、新館になりましたときの1996年に、愛知県美術館と東京国立近代美術館の共同企画で、『近代工芸の前衛 藤井達吉展』を実施しました。これは大正期の藤井作品に限定した内容のもので、愛知県美術館と東京国立近代美術館の工芸館で開催致しました。これには碧南の方々も、よくご覧になっていただけたかと思いますが、まさに大正の初期から大正12年までの藤井作品が公開されました。これ何故大正12年かと申しますと、その母体となったのが大正期の著名なパトロン芝川照吉、この所蔵家の収集期間でございます。芝川照吉と申しましても、なかなかぴんと来ないと思いますけれども、実は、これは一般われわれの業界では『まぼろしの芝川コレクション』と言われています。何故かと申しますと、芝川照吉コレクションというのは、実は、現在愛知県美術館で岸田劉生展が開催されています。その中の岸田劉生の総作品35点をお持ちになっていました。特に、代表作は東京国立近代美術館に入っていまして重要文化財になっています『切通之写生(道路と土手と塀)』この作品をお持ちになっておられます。また、芝川コレクションの有名なものは、例えば、ブリヂストン美術館に所蔵されています浅井忠の≪編物をする女≫とか、それから大原美術館に入っています青木繁の≪天平時代≫その辺の一連のシリーズですね。実は、芝川さんのコレクションだったのです。しかし、大半の芝川コレクションは、関東大震災で焼失されたといわれていました。これが、世に幻のコレクションと言われるゆえんです。
 さて、話は飛んでしまいましたけれども、藤井の大正期の有力なパトロンには、いま申しました芝川照吉の他に、もうひとり西郷健雄がいます。西郷健雄と申しましても、ちょっとわかりにくいところですが、西郷健雄の義理のお父さんというのは、横浜の大財閥原三溪です。西郷健雄のお兄さんというのは、院展で活躍した西郷孤月です。日本美術院、つまり院展のことですね。そういう系譜の人物だったんです。西郷コレクションと芝川コレクション、これが大正期の藤井の有力な二大パトロンであったわけです。 <以下次の頁へ続く>

碧南芸術文化振興会設立総会記念講演(講演者:木本 文平氏、期日:平成13年2月)
(『碧南藤井達吉芸術文化現代』第1号〜第3号を補訂)

ページのトップへ戻る