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講演録「藤井達吉の芸術」【2】
愛知県美術館企画普及課長(講演時) 木本 文平氏
そうこうしておりますうちに、実は、1992年に新しい愛知県美術館が建設されることになり、その計画段階の折に一番問題となったのは、新館に機能を受け継ぐに当たって藤井達吉と、そして、藤井達吉のコレクションをどういう形で新館に受けつないで行くかということが実は最大の課題だったんです。そして、開館の2年ほど前に、現在、万博の本部長なんかで、頑張っています安井俊夫さん。この方は当時、新館の事務局長をやってみえまして、その安井さんから電話がかかって参りまして「ちょっと頼みがある。新館を造るに当たって藤井さんの実像があまりにも薄過ぎる。お前、何とかせい」というような話があったんです。「何とかせよとは、どういうことですか」という話になって、「美術史的な位置づけができるように、ちゃんとしなさい」と、「ちゃんとしなさいは、いいですけれども、口で言うのは簡単だけれども、藤井さんの実像というのは、今まで私が見た旧美術館における藤井展のあり方、藤井さんのとらえ方では理解されないと思います。藤井という作家は私の知る限りでは、大正期にすごいエネルギーを燃やした情熱的な、もう前衛の、超前衛を走って行く人であるという認識なんです。だけれども、今までの美術館でやってきた作家というのは、『枯れた存在』、もう『孤高の人』、そういうような独特な位置づけになっている。そういう状況の中で、藤井を美術史的な位置づけにしろと言われても私にはできません」「じゃ、どうしたらいいんだ」「それには私に調査費をくれ」と、これはちょっと下世話な話になりましたけれども、東京時代の藤井の姿を鮮明にしないことには、実は藤井の実像というのは出ない。「それは、どういうことだ」「つまり、今まで知られている文献の中からしても、藤井の歩いた足跡、そういうものをちゃんと文献的にも、実証的にも明かさなければ駄目なんだ。それには、まだ生きている人たちの話を聞いたり、資料や作品を調査したり、そういうものを検証する旅費が要る」「それではいくら要る」それで、私は「100万円欲しい」と言ったんです。「ちょっと待て」と、一週間後に安井さんから電話が来まして「100万円は、ちょっとえらいから、50万円にまけろ」それについては、ここにおみえになります平岩先生とか長田先生、山内先生、加納先生あたりに了解をとった上で「総合芸術研究会から50万円の調査旅費を出すから、それでお前、調べろ」ということで、藤井達吉の調査が始まったわけです。その調査の結果、今まで知られていなかった藤井の実像というものが、さまざまな形で出て参りました。まあ、今日実は、当然1時間半ぐらいの講演かなと思っていましたら、1時間だということで、そして、なおかつ5時半までに終われということで正味45分しかないものですから、余り掘り下げたお話はできません。ただ、ここで残された時間の中で言いたいのは、藤井達吉の芸術、そのものと考えられる大正期の活動、そして、昨今再評価される藤井像この辺あたりを主に東京時代を中心とした藤井像を私の調査結果の範囲でお話したいと思います。 <以下次の頁へ続く>
碧南芸術文化振興会設立総会記念講演(講演者:木本 文平氏、期日:平成13年2月)
(『碧南藤井達吉芸術文化現代』第1号〜第3号を補訂)
