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碧南市

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市長のC・Sメッセージ

平成25年9月1日 東日本大震災の被災地との交流が活発に行われています

 市民の皆様、残暑厳しい折、ご自愛下さい。夏が暑ければ、その後の秋や冬がより引き立ちます。より大きな実りを得るためにも、この時期を感謝一杯に過ごしてまいりましょう。
 平成23年3月11日、東日本大震災が発生してから、早、2年半ほどになります。被災地の復興も徐々に進んでいるといったところです。
 東日本大震災が発生してから今日まで、被災地と碧南市や市民との交流が活発に行われており、大変嬉しく思っております。今後より一層交流が活発に行われ、被災地の完全復興に弾みをつけたいところです。

 被災地と碧南市や市民との主な交流を次に時系列的に整理してみます。
 碧南市は、人口規模が近い(碧南市72,018人、塩竈市56,490人 平成22年国勢調査)、小中学校の数が同じ(小学校7校、中学校5校)、内海で湾内に面している地形、港湾を持っている等、類似点が多い宮城県塩竈市を重点支援先とし、平成23年度は延べ10名の職員派遣と支援物資の提供を行い、災害復旧・復興に協力させていただきました。平成24年度、25年度も引き続き人的支援として職員1名を派遣しています。
 東日本大震災により被災された方々を支援するため義援金を募っています。義援金は、日本赤十字社を通し、被災地復興のため有効に活用されます。平成25年8月14日現在で約6,092万円の義援金が市民の皆様から寄せられました。
 平成23年5月、東日本大震災で被災された地域(塩竈市)への災害復旧支援として、大人用の自転車を募集して、約20台送りました。
 平成23年6月、碧南市立棚尾小学校学区24区をあげて児童とともに震災支援資源回収を行い、収益金額を義援金として送りました。
 平成23年7月、碧南市立棚尾小学校吹奏楽クラブの代表が、親交のある仙台市立南材木町小学校と心の震災復興を願って、仙台市で友情演奏会を行いました。
 平成23年7月、震災以前に「アクアマリンふくしま」から海浜水族館に搬入したネムリブカ(サメ)を、被災地復興の貢献のため里帰りさせました。
 平成23年8月、棚尾小学校4年児童111名が、郷土の近代工芸家藤井達吉が創設した小原和紙で制作したオブジェ「祈り」が完成させ、復興を祈りました。
 平成23年10月、碧南市立棚尾小学校の児童が、市所有の田んぼを使い、田植えから収穫まで共同作業し、米作りを体験するとともに、収穫した米約8俵と棚尾小学校児童会があおいパークの協力を得て、栽培をした「金時芋」約100kgを東日本大震災地の釜石市の釜石小学校へ義援米として送り届けました。
 平成24年3月、碧南市が東日本大震災で被災した宮城県塩竈市へ職員派遣していることに対し、塩竈市職員7名が感謝の気持ちを伝えたいという思いから、震災対応の合間を縫って碧南市民駅伝に出場しました。平成25年3月にも塩竈市職員数名が碧南市民駅伝に出場しました。 
 平成24年3月、卒業式を目前にして、釜石小学校児童67名から心温まる絵はがきと「いきいき 生きる」東日本大震災釜石小学校記録集2冊が棚尾小学校児童に贈られました。
 平成24年7月、東日本大震災発生後、重点支援先として支援してきた宮城県塩竈市との応援体制をより強固なものとするため、災害時相互応援協定を締結しました。
 平成24年8月、碧南市サッカー協会では、毎年県内、県外よりチームを招待して「へきなんサマーカップ」を行っていますが、公益社団法人日本モーターボート選手会の協力を得て宮城県塩竃市のサッカーチームを招待して大会を行いました。平成25年8月も公益社団法人日本モーターボート選手会の協力を得て宮城県塩竃市のサッカーチームを招待して大会を行いました。(今後は、碧南市の選抜少年サッカーチームが塩釜へ行ってサッカーの試合を行う計画もあるようです)
 平成24年10月、棚尾小学校5年生が収穫した友情米300kg、6年生と1年生が育てたサツマイモ50kg、大かぼちゃ11kg、応援メッセージ121枚を10月19日に岩手県釜石小学校へ贈りました。
 平成24年11月、釜石小学校へ友情米を贈り届けたので、お礼に釜石小学校の児童から和紙メッセージ131枚が棚尾小学校6年生に届き、その和紙メッセージを鶴に折りあげ、全部で鶴311体に完成し、震災復興のディスプレイとして、フランスのサン・レミ教会へ送りました。
 和紙を使って、棚尾小学校6年全児童120名は、震災直後から復興支援交流のある釜石小学校とメッセージの交換をし、それらを311羽の鶴に折り、フランスボルドー市で平成24年11月に行われたワークショップ「日本文化伝統と現在」に出展し、震災復興の現状や両校の交流の様子を世界に発信したが、フランスを始めとする世界の参加者は折り鶴を開いてメッセージを読み、棚尾小学校と釜石小学校の交流活動に感動し、被災地や両校への応援メッセージを同サイズの和紙に書き、290羽の鶴に折ってサン・レミ教会で犠牲者の冥福と震災復興を祈りました。この鶴が、平成25年1月に棚尾小学校に届きました。
 平成25年2月、東日本大震災を目の当たりにし、東海地震や東南海地震などに備えるため、実際に東日本大震災を体験し、復興に尽力されている宮城県塩竈市長を講師としてお招きし、被災地での取組みなどについての講演を碧南市芸術文化ホールで行いました。400名ほどの市民がこの公演を聴くことができました。
 平成25年3月、東日本大震災発生から二年を迎え、犠牲となった方々に対し哀悼の意を表し、被災地の一日も早い復興を祈願するため、また、塩竈市への派遣職員の業務内容や震災をきっかけに深まる塩竈市との交流の様子を紹介する中で、市民の防災意識のさらなる向上を啓発するために、市役所ホールでパネル展等を行いました。
 平成25年3月、防災集会を碧南市立棚尾小、東北・岩手釜石小、関東・東京第二亀戸小とテレビ会議システムを活用して行いました。
 平成25年4月、JAあいち中央から碧南市の特産物の1つであるタマネギ700キログラムを宮城県塩竈市へ寄贈しました。
 平成25年7月、日本モーターボート選手会では平成24年8月より宮城県石巻市狐崎浜にて復興支援活動を行っていますが、同浜近くの石巻市立東浜小学校で練習している「荻浜ダブルコンドルズ」を碧南市に招待し、「海の日記念 少年野球交流試合」と称し、碧南少年野球育成連盟の加盟6チームとの試合を行ったり、ペアボート試乗会等を行いました。この行事についても、今後毎年実施されるとのことです。
 平成25年8月、日本大震災以後、毎年、棚尾小学校が支援活動として、碧南市とJAの方々の協力を得て、育てた友情米・友情芋を釜石小学校へ送り、両校が交流を続けています。そのため、釜石小学校長が、棚尾小学校を訪問し、「釜石の奇跡と呼ばれた子どもたち〜『命と心』の教育」と題し講演会を開催しました。

以上の他にも、
@派遣している職員を励ますために、百数十名の職員が自費で塩竃市を訪問しています。
A平成24年と25年の元気ッス!へきなん開催時には、塩竈市の商工課の皆さんが来碧され、塩竈市の物産を販売されました。いつも完売状態となっています。
B多くの団体の皆様が、塩釜市に直接寄付金を贈呈されました。
C最近では、塩竃市内に工場等を建設する計画を進めておられる碧南市内に本社をおく企業も出てきました。
D衣浦みなとまつりや元気ッス!へきなん等では、参加者から義援金を募っています。

 このように、東日本大震災の被災地と碧南市や市民との交流が、時間の経過で風化せず、活発に行われています。

 震災直後から碧南市民を中心とするグループが碧南市名入りのテントを基地に、数ヶ月間に渡ってボランティア活動を行った場所は、宮城県石巻市でした。
 碧南市と宮城県石巻市とは140年程前から深い関係があるのです。実は、碧南市東浦町出身の政治家であり文人であった山中信天翁(1822年〜85年)が、明治初期、石巻に県庁が置かれていた時の知事だったのです。
信天翁は、明治維新改革の中心人物の一人である岩倉具視の懐刀(有能な部下)として、維新政令の草案の多くを作成したり、産業や労働に精を出す人を顕彰したり、災害で難儀をしている人を救済することなど、国民を思いやる政策を建言しました。
 1868年発生の鳥羽伏見の戦では、食糧や軍事費の調達の任につき、その年、初代会計官に任ぜられました。
 また、1869年に行われた明治天皇の東京遷都の行幸では、御用掛に任ぜられ、翌年には桃生県(ものうけん、旧仙台藩領の政府直轄地の一部。県庁を現石巻市桃生町太田の桃生城に設置)知事に就任。その後、桃生県は隣接県と合併し、信天翁は、その(現宮城県)知事となりました。信天翁は51歳で全ての官職から退き、京都に隠棲、水墨画や書を極めます。宗教心が厚く、倹約に努め、正直で高潔な人物であったとのことです。
 すなわち、宮城県の初代知事は、山中信天翁なわけです。そして、そのスタートが現在の石巻市からというのです。
 また、宮城県塩竃市とも600年ほど前から関係があります。
 近代日本の礎となった平和な江戸時代を築いた徳川家康の始祖といわれる家康より8代前の松平親氏(松平家初代)は、南北朝時代、関東の地を逃れ、時宗の遊行僧徳阿弥と称し、父有親(長阿弥)、弟泰親(祐阿弥)としばらく碧南大浜にある称名寺に滞在(有親はそのまま称名寺で死去、弟泰親は松平家2代目となる)。後、碧海郡の酒井(又は坂井、現在は知立市)家の婿となるが、妻の死去のため一子を残して、豊田松平郷へ入り、在原業平の20代後裔といわれる太郎左衛門信重の次女水の婿養子となります。
 実はこの松平親氏は氏神として六所山(霊峯蜂ケ峯)山頂に奥州の塩釜明神を勧請して社殿を建立し、以後松平家代々の氏神として祀られてきているのです。
 塩釜神社は奥州の一の宮であり、平安時代初期から存在し、現在の塩竃市内にあります。

 このように、碧南市並びに碧南市民が現在交流を深めている被災地は、それぞれ歴史的にみても浅からぬ関係があります。この縁をますます深めるように、今後とも盛り上げてまいりましょう。

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