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C・S碧南データBOX

市長のC・Sメッセージ

※C・Sとは、Citizen's(市民)Satisfaction(満足度)の頭文字をとったもので、市民満足度を向上させることをいい、禰宜田市長が提案した用語です。

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平成25年3月21日 市民の皆様と共有したい情報

 私が、様々な機会に接した情報の中で、市民の皆様も知っておいていただいた方がよいと思われるものをマニフェストの項目別にまとめてみました。市政・国政等の理解を深めるために、ご参照ください。

6.協働社会の構築

 三重県名張市(人口8万3,000人)では、小学校区に見合う14地区の住民による「地域づくり委員会」に使途を限定しないお金を交付(総額4,500万円)し、代わりにこれまで地域に交付してきた補助金(敬老会、資源ごみ回収事業などが対象)は廃止、さらに169の区長に委託してきた仕事、委託料、報酬も廃止した(「市政」2009年8月号)

 社会参加が活発な都道府県ほど高齢者就業率が高く、高齢者就業率が高い都道府県ほど一人あたりの老人医療費が低い。

 碧南市のボランティアの現状、市内には社会福祉協議会が所管する碧南市ボランティア連絡協議会の碧南市ボランティアセンターと、地域協働課が所管する碧南市ボランティア活動協議会のボランティアサポートプラザ、2つの組織と活動拠点がある。
 福祉関係の団体で構成される碧南市ボランティアセンターは、平成21年4月1日現在で14団体、1,468人の方々が登録。一方、ボランティアサポートプラザのほうは、平成21年5月末現在で81団体、3,504人の方が登録。ボランティアサポートプラザでは、子供の健全育成12団体、792人、保健・医療・福祉の増進18団体、572人、文化・芸術・スポーツ振興19団体、571人、国際協力5団体、563人、まちづくり11団体、440人、環境保全8団体、306人、消費者保護1団体、200人、社会教育の推進2団体、24人、情報化社会の発展2団体、15人、その他3団体、21人、計が81団体、3,504人。
 公園等愛護会は、まちの美化、公共施設の愛護の精神を高めるために地域の皆さんが構成員となっており、平成21年5月末現在で23団体が登録。

 公園の現況について、都市公園の種類は、街区公園、近隣公園、地区公園は、住区を計画単位としたものと、総合公園、運動公園など、都市を計画単位とした公園がある。
 当市の都市公園の現況は、総合公園が1箇所(12.0ha)、地区公園が1箇所(5.1ha)、近隣公園が1箇所(1.8ha)、街区公園が38箇所(11.01ha)、都市緑地が5箇所(7.17ha)、都市公園全体では46箇所で37.08ha。
まちの美化、公共施設の愛護の精神を高めるために地域の皆さんに公園等の清掃、除草などの美化活動にご協力をいただく制度に公園等愛護会があり、平成2年より施行。
 愛護会の主な活動内容は、年12回の公園等の清掃、年6回の除草、年12回の施設点検。
 愛護会の現況(数と参加人数等)は、平成22年度は27団体、約2,190名の方が市内32箇所の公園等で活動。各団体への報償金は、基本額5万円に、公園の場合は1u当たり10円、緑地の場合は1u当たり40円の面積割を加えた額。
 平成21年度は25団体に2,270,580円を交付。平成22年度は27団体で2,733,000円の交付予定。

 碧南市里親プロジェクトは、公共施設の道路、河川等の美化活動に市民が自主的に参加することを通じて、市民の環境意識を高め、「美しいまち 碧南」、「環境のまち 碧南」を実現し、さらに維持・向上させるため、平成19年4月から実施。対象を個人と団体とに分けており、個人では身近な道路の清掃・草取りなどとし、登録証(シール)を配布。
 事業者やグループなどの団体では、5人以上で道路等の場所を定め、看板を設置。22年6月1日現在、個人で登録された方は672人で、主に歩道の清掃やごみ拾い、花を植えたりして町の美化活動。また、団体登録が30(県道16団体・市道や公園等が14団体)、約700人の方々が、31箇所、延長にして約17qにおいて、活動。

 碧南市民病院で活躍している主なボランティア団体さんは、はなの木ボランティアさんは、月曜日から金曜日までの毎日、外来で来院される患者さんや家族の皆さんに対して御案内、お世話を初めいろいろ活動しており、82名の方々で行っています。
 フラワーバスケットさんは、池のある中庭で季節の花の入れかえとか、植栽、手づくりのフラワーバスケット配置をしており、ほかにも1年を通して花への水やりや除草などの活動を18名でやっています。
 K.I.ローズさんは、春と秋にバラ展を開催し、患者さんへのバラのプレゼントをしており、30名から40名程度の方々で活動をしています。
 院内の絵画や写真、芸術作品の展示は、碧南市文化協会さんや碧南美術会さんが、随時院内の展示スペースに絵画や写真などをかけかえしています。
 また、市民病院1階ロビーでは、ピアノの演奏、合唱などコンサートの活動をしている方がおり、全体で年間十数回開催しています。

 名鉄廃線敷跡地の取得について、用地の延長は約2.8キロ、面積は3万3,103.76平米。契約金額は、一括購入で3億円を予定。

碧南市平成23年町内会別 世帯・人口一覧表
(平成23年4月1日現在 外国人登録者を含む)
新川 棚尾
町内会名 世帯数 人数計 町内会名 世帯数 人数計
久沓町 294 360 360 720 源氏町 170 256 242 498
丸山町 137 175 171 346 汐田町 197 273 259 532
六軒町 187 240 225 465 春日町 194 247 258 505
田尻町 214 329 306 635 作ヒ沢渡町 172 230 211 441
松江町 301 425 438 863 栗山町 180 268 223 491
相生町 349 472 457 929 志貴町 204 306 328 634
相生鶴見町 172 214 197 411 尾本町 145 222 235 457
山神相生町(鶴第1) 135 203 215 418 弥生町 141 206 202 408
山神町(鶴第2) 145 188 204 392 若宮町 382 643 593 1,236
新川山神町(鶴第3) 195 287 278 565 志貴崎町 313 458 478 936
浅間町(鶴第4) 300 348 402 750 棚尾地区 2,098 3,109 3,029 6,138
新川籠田町(鶴第5) 122 173 180 353
千福町第1 201 267 282 549 町内会名 世帯数 人数計
千福町第2 135 196 209 405 鷲ヒ町 380 534 451 985
籠田町第1 134 155 176 331 鷲林町 309 393 345 738
籠田町第2 116 163 167 330 旭町 157 261 282 543
千福浜尾町 90 154 136 290 二本木町 157 241 252 493
千福堀方町 133 216 203 419 荒子町 187 328 315 643
千福福清水町 134 180 151 331 笹山町 391 602 597 1,199
住吉町 243 301 320 621 新道町 264 337 301 638
浜尾鶴見町 193 276 263 539 緑町 387 519 542 1,061
堀方町 293 443 416 859 西部城山町 149 235 231 466
東山町 437 604 579 1,183 神有町 317 548 530 1,078
金山町 357 554 528 1,082 南城山町 233 318 340 658
西山町第1 335 509 469 978 天神町 266 420 408 828
西山町第2 278 408 401 809 池下照光町 359 549 529 1,078
新川地区 5,630 7,840 7,733 15,573 鷲ヒ住宅 360 423 440 863
中央 鴻島町 153 227 220 447
町内会名 世帯数 人数計 三宅町 205 307 312 619
道場山町 347 533 515 1,048 伏見町 236 320 293 613
宮後町 291 388 358 746 日進町 332 437 421 858
福清水末広町 304 413 381 794 砂子 244 283 101 384
天王第1 169 213 203 416 砂子第2 32 55 51 106
天王第2 284 383 370 753 霞浦町 220 360 341 701
天王第3 182 222 242 464 東浦町 235 393 393 786
天王第4 195 242 202 444 平七町 247 355 329 684
尾城町 139 236 221 457 家下 131 137 133 270
中山町 368 487 475 962 流作町 28 51 60 111
源氏神明町 162 238 213 451 旭地区 5,979 8,633 8,217 16,850
中後町 250 347 319 666 西端
植出町 150 226 240 466 大久手 62 110 88 198
幸町第1 259 359 374 733 半崎1 291 398 299 697
幸町第2 223 263 295 558 半崎2・3 278 415 417 832
向陽町 254 345 334 679 上1 121 197 184 381
中央地区 3,577 4,895 4,742 9,637 上2・3 157 264 246 510
大浜 上4 173 282 302 584
町内会名 世帯数 人数計 上5 171 276 267 543
大浜上町 224 353 337 690 下1・2 316 365 452 817
石橋町第1 202 263 279 542 下3 275 389 428 817
石橋町第2 149 204 207 411 下4 244 360 319 679
中松町 156 213 242 455 下5・6 317 497 461 958
羽根町 229 323 308 631 西荒居 231 384 376 760
本郷町 165 235 235 470 宮下団地 152 118 170 288
中町上区 74 102 111 213 三度山団地 147 138 202 340
松本町 146 210 186 396 西端地区 2,935 4,193 4,211 8,404
沢渡町 174 275 228 503  
野田町 173 225 231 456
浜寺町 66 93 94 187
音羽町 145 188 231 419
中町中区 62 81 95 176
善明町 210 312 307 619
作ヒ町 110 178 163 341
錦町 184 294 291 585
塩浜町 324 451 433 884
浜田町 191 297 307 604
伊勢若松町 249 385 382 767
入船権田町第1 313 478 406 884
入船権田町第2 272 403 376 779
築山町 158 224 248 472
西浜町第1 128 199 214 413
西浜町第2 117 189 204 393
宮町第1 141 240 217 457 地区名 世帯数 人数計
宮町第2 208 313 321 634 新川地区 5,630 7,840 7,733 15,573
権現町 232 362 327 689 中央地区 3,577 4,895 4,742 9,637
岬町 236 396 348 744 大浜地区 5,963 8,588 7,925 16,513
前浜町 207 358 333 691 棚尾地区 2,098 3,109 3,029 6,138
川口町 212 255 247 502 旭地区 5,979 8,633 8,217 16,850
塩浜町第2 506 489 17 506 西端地区 2,935 4,193 4,211 8,404
大浜地区 5,963 8,588 7,925 16,513 合計 26,182 37,258 35,857 73,115

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7.発信力の強化

 寺院の数は、愛知県が一番多い。また、碧南市には55の寺院がある。

 平成20年度の無我苑の開苑日数は307日で、瞑想回廊の入場者は1万2,173人。そのうち、夜間、これは午後5時15分から午後9時までであるが、入場者は670人。1日平均2名程度。一方、研修道場の貸し館の利用延べ件数は、平成20年度は961件、そのうち夜間利用は162件であった。

 無我苑の利用状況は、平成21年度、開苑日数307日のうち、和室1の利用は253日、和室2は258日とともに80%を超える利用率、市民茶室は、96日と31%の利用率。また、瞑想回廊の入場者数は日中夜間合わせて12,943人で前年度比6%増。呈茶についても13,092服で前年度比11.4%増。
 哲学講座については、前期講座では定員38人に対し38人、後期講座は定員34人に対し26人、哲学入門講座は定員34人に対し39人。

 社団法人愛知県観光協会が平成21年9月に発行した「徳川家康ガイドブック」には次のように書かれている。「歴応2年(1339)、長阿弥(有親)、徳阿弥(親氏)という2人の親子の僧が大浜(碧南市)称名寺を訪れている。父親の長阿弥はここで逝去し、徳阿弥は矢作川をさかのぼり三河を放浪する。松平郷に入った徳阿弥は、豪族・在原信重が催した連歌の会が縁で、次女の婿となり、松平太郎左衛門親氏と名を改め家督をついだ。この松平親氏こそ、松平家の初代である。2代の泰親は、その子信光を従え岩津に居城を移した。3代信光は、西三河一帯に勢力を広げ安祥城に居城を移し、織田方と対抗する。その後松平氏は、7代清康の活躍により三河一国をほぼ支配下に置くが、尾張守山の陣中で清康が家臣に刺殺され、総崩れとなる。8代広忠は流浪の身となり、駿府今川氏を頼った。天文11年(1542)、このような厳しい状況の中で9代家康は誕生した。」

 岡崎に松平家8代と徳川幕府将軍1〜14代までの位牌が奉られている大樹寺(1475年創建)がある。その寺が昭和58年4月に発刊した「大樹寺の歴史」という本の中に次のように書かれている。「松平氏の祖先は源義家の末裔で上野国(群馬県)新田郡徳河郷に住し、徳河殿と称して新田氏に従っていた。ところが義貞が足利尊氏に敗北した後に足利氏の弾圧が強まったため、徳河郷を出て10代計り各所を流浪していた。松平初代の親氏は、徳阿弥と称して時宗の僧になっていたが、西三河に流浪してきて坂井(酒井)郷(碧海郡内)の豪族酒井氏の娘との間に男子を儲けた。このあと加茂郡松平郷の豪族松平太郎左衛門の娘婿となって跡目をつぐことになった。」「新田得川氏の後裔親氏は時宗の僧となって徳阿弥と名のり、父長阿弥有親と共に三河碧海郡大浜の時宗称名寺に来住した。親氏は還俗して酒井五郎左衛門のむことなり一男を儲けたが、いくばくもなく妻に先立たれた。その後松平太郎左衛門信重のむことなって跡目をつぎ、松平郷内に郷屋敷を築き本拠地とした。」

 徳川家康の先祖に関する情報

 初代:松平親氏 時宗の遊行僧徳阿弥と称し、父有親(長阿弥)、弟泰親(祐阿弥)としばらく碧南大浜にある称名寺に滞在。後、碧海郡の酒井(又は坂井、現在は知立市)家の婿となるが、妻の死去のため一子を残して、松平郷へ入り、在原業平の20代後衛といわれる太郎左衛門信重の次女水の婿養子となる。氏神として六所山(霊峯蜂ケ峯)山頂に奥州の塩釜明神を勧請して社殿を建立した。1394年没、63歳。

 2代:松平泰親 親氏の弟、1437年没、75歳

 3代:松平信光 親氏の三男(生まれた年から泰親の子という説もある) 、1403年生まれ、岩津城主、大給城、保久城を獲得、1471年に三河安祥城を攻略、岡崎城を接収。子供は48人、1488年没、85歳

 4代:松平親忠 信光の三男、1448年生まれ、1470年に伊賀上野より八幡神を勧請して伊賀八幡宮を創建して氏神となる。1475年大樹寺を建立。1501年没、63歳。

 5代:松平長親 親忠の次男、1473年安祥城生まれ、1496年より安祥城主、1544年、大樹寺にて没、71歳

 6代:松平信忠 長親の長男、1490年安祥城生まれ、暗愚、残忍といわれた。1523年、13歳の長男清康に家督を譲り、碧南大浜にある称名寺に隠居。1531年没、46歳。

 7代:松平清康 信忠の長男、1911年安祥城生まれ、武勇と慈悲に富み、三代信光と並び称される逸材。1525年居城を安祥城より岡崎城に移す。1535年、守山陣にて、部下の勘違いにより刺殺された。25歳。

 8代:松平広忠 清康の長男、1526年岡崎城生まれ。1540年、織田信秀が安祥城を攻略。1541年、刈谷城主水野忠政の娘於大を嫁とする。1542年に徳川家康が岡崎城にて誕生。1544年、於大は17歳で離縁され刈谷に戻る。1549年、岡崎城中にて刺殺された。24歳。

 「織田信長はたいへんに合理的な精神の持ち主でしたが、その反面、極端な残忍性をも持ち合わせていました。・・・・・・まず、1571年、京都の比叡山焼打ちです。9月21日、信長軍は比叡山を包囲し、火を放って社寺堂塔をすべて焼き払い、僧俗男女3000人の首をはねました。ついで1574年の伊勢長島の一向一揆征伐でも数千人を虐殺。圧政に立ち上がった浄土真宗(一向宗)門徒のたてこもる城を何重にも柵で囲んで、一人もにげられないようにしたうえで、火を放ち、焼き殺すという徹底ぶりです。1575年の越前(福井県東部)の一向一揆征伐はさらにエスカレートします。かたっぱしから門徒を捕らえ、打ち首、はりつけ、釜ゆでの刑にし、殺された一向宗門徒は実に3万人にのぼったといわれます。姉川(滋賀県)で戦った朝倉義景・浅井長政のどくろに金箔を塗り、それを杯にして酒を飲んだ話といい、信長にはどこか異常なところがあったのでしょう。」(「つい誰かに話したくなる日本史雑学」講談社発行より)

 「手芸のパイオニア藤井達吉」という題目で雑誌「毛糸だま」2011年春号の中で美術ジャーナリスト藤田一人は、藤井達吉翁について次のように述べています。「藤井は七宝をはじめ金工、木工、染織、漆芸、陶芸等多彩な技法、素材を横断的に駆使し、独創的な意匠表現を展開するとともに、手芸の奨励にも力を注ぎました。」「自分の世界は自分で作り上げる。それこそが手芸の本領であり、個々の趣味や日々の生活観に根差した美意識こそ、豊かな文化的生活の基本であるというわけです。藤井自身がそれを実践するとともに、彼の姉妹、姪も刺繍やアップリケに豊かな才能を示しました。藤井達吉にとっては、美術も工芸も手芸も関係なく、身近な技法を様々に駆使して、より魅力的な世界を日常生活、そして人生を通して育んでいくことこそが、理想だったのでしょう。」

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8.その他
(1)碧南市関係


 碧南市の人口の全国順位は、市区805中403番目である。愛知県の中では、35市中24番目である。 

 碧南市は、全国で227番目、愛知県で10番目の市制施行。平成21年4月1日現在の、愛知県内の市町村数は、35市24町2村、計61です

 碧南市の人口、市制施行の昭和23年当時、4万2000人、昭和34年、5万人超え、平成元年6万6000人、平成14年度末、7万人超え。
 明治33(1900)年版の「愛知県独案内」という書籍には、当時「碧海郡で5000人以上の人口を持つ町は、大浜町(人口5900)、新川町(人口6400)、棚尾村(人口5000余)の3か所」と書かれている。当時は、刈谷、安城、知立よりも人口が多かった。
 大正3(1914)年に三河鉄道として大浜港(昭和29年碧南駅と改称)と刈谷間が開通。平成15年に碧南と吉良吉田間が廃線。
 昭和31(1956)年に衣浦大橋が開通。
 昭和32(1957)年に、衣ケ浦湾にあった7つの港を統合して、重要港湾衣浦港が発足。
 昭和44(1969)年に半田、亀崎への渡し船が廃止。
 昭和48(1973)年に衣浦海底トンネル開通。
 昭和52(1977)年に臨海鉄道が開通。
 衣浦豊田線(産業道路)は、昭和54(1979)年に臨海部7.7キロが開通。
 碧南市文化会館は、昭和54(1979)年にオープン。
 海浜水族館と青少年海の科学館は、昭和57(1982)年にオープン。
 昭和57(1982)年、市保健センター開設。
 昭和63(1988)年、市民病院が開院。
 明石公園は、平成元年にオープン。
 市民保養施設「車山みどり山荘」は、平成3年オープン。
 哲学たいけん村「無我苑」は、平成4年にオープン。
 へきなん芸術文化村にある図書館は、平成5年にオープン。
 現在のクリーンセンター衣浦は、平成7年にオープン。
 農業活性化センター「あおいパーク」は、平成10年オープン。

 1576年、徳川家康が船手(水軍)の要塞として大浜に砦(羽(は)城(じょう))を築いた。また、1603年に江戸幕府が開府されたが、1604年に、大浜村は幕府領に編入された。
 1676年、近江国辻村から国松十兵衛家次が松江に移住して鋳物製造を始めた。1912年に平岩鉄工所が鋳造部を設立し、1916年に国産初の毛織機を製作。太田重工は、1931年から豊田自動織機の指定工場となった。 
 1701年頃から西三河地方に瓦業者が増え、碧海地方に同業者の組合が組織された。1788年には棚尾の永坂杢兵衛が京都の技術を導入して瓦製造を始めた。
 碧南では、1711年に大浜村の九郎右衛門と七右衛門が酒造りをしていたが、1772年になると現「九重味淋」の祖である石川八郎右衛門が焼酎と味醂製造を始めた。
 1772年、大浜の角谷大十がナス、瓜の漬物業を始めた。
 1789年に大浜の角谷兵衛門が味噌・たまりの製造を始めている。1802年には、白醤油のメーカーとして知られるヤマシン醤油が創業した。
 1808年に平岩鉄工所の先祖が野鍛冶(農機具や日用雑品を生産していた鍛冶職人)を始めていた。  
 1907年、棚尾村で小笠原製粉所が創業した。
 1918年、長田仙太郎が大浜三鱗という練炭製造の工場を創業。

 法人市民税は、碧南市内に事務所等がある法人等に課税される市税で、事務所等又は寮等があれば課税される均等割と国税の法人税の額に応じて課税される法人税割とからなります。均等割額=規定の税額×(市内に事務所等があった月数÷12)
 法人税割額=法人税額×13.4%(課税標準となる法人税割額)÷全従業者数×碧南市内の従業者数

 碧南市には11の河川と239の橋がある。
 
 前浜は文政10年(1827)に大浜と棚尾の村々と中根又左衛門、藤次郎の手によって完成させた。川口は昭和21年(1946)に大浜町・棚尾町・旭村が干拓地造成期同盟会を結成したことに端を発する。同年10月から着工し、10年後の昭和31年(1956)10月に面積173ヘクタールの碧南干拓地が完成する。

 碧南市でもっとも古い木が霞浦神社境内にある。根まわり5メートルの「欅」(けやき)。幹回り4メートルという大樹。

 キャッチネットワークの加入状況、平成20年4月末時点で、碧南市の総世帯数2万6,300に対して、多チャンネル加入数は5,814件、22.1%、インターネット利用者数は6,441件で、24.5%。多チャンネルあるいはインターネット、どちらかの1つ以上を利用している世帯の総数は、8,435件、32.1%。

 海を持つ碧南、碧南海浜水族館、碧南市青少年海の科学館、展示生物は開館当時250種、3,000点、現在では350種、4,000点。

 碧南市内の公共住宅は市営住宅464戸、県営住宅が646戸、雇用促進住宅が280戸。民間の賃貸、分譲住宅は、平成13年からデータをとっており、13年が305戸、14年が393戸、15年が314戸、16年が335戸、17年が528戸、18年が633戸、19年が457戸で、合計2,965戸増えている。

 油ケ淵水辺公園は、愛知県唯一の天然湖沼であり、平成17年に都市計画決定(碧南市側45ha、安城市側31ha)。内、第1期整備ということで、36ha(碧南市側15ha、安城市側21ha)を平成19年度から10年間での完了を目指して、事業着手している。

 財政力指数とは、基準財政収入額を基準財政需要額で除した指標で、3年度間の平均値を用いる場合が多い。要約して表現すれば、入いってきた税収額を標準的な行政を行う場合の支出額(人口規模等の観点からきまる)で割った数字と理解すればよい。

 平成21年3月31日現在、愛知県の中で人口(外国人登録を除く)が10万人以上の市、1.名古屋市217万人、2.豊田市41万人、3.一宮市38万人、4.豊橋市37万人、5.岡崎市36万人、6.春日井市30万人、7.豊川市18万人、8.安城市17万人、9.小牧市14万人、10.刈谷市14万人、11.稲沢市13万人、12.瀬戸市13万人、13.半田市12万人、14.東海市11万人、15.西尾市10万人、16.江南市10万人

婚姻件数・離婚件数の推移
A:婚姻件数 B:離婚件数 B÷A C:婚姻件数 D:離婚件数 D÷C
平成 (国全体 千件) (国全体 千件) (%) (碧南市) (碧南市) (%)
10年 785 243 31.00% 407 116 28.50%
11年 762 250 32.80% 418 103 24.60%
12年 798 264 33.10% 406 100 24.60%
13年 800 286 35.80% 431 117 27.10%
14年 757 290 38.30% 472 129 27.30%
15年 740 284 38.40% 457 115 25.20%
16年 720 271 37.60% 413 122 29.50%
17年 714 262 36.70% 413 131 31.70%
18年 731 257 35.20% 466 109 23.40%
19年 720 255 35.40% 435 124 28.50%
20年 726 251 34.60% 456 118 25.90%
21年 708 253 35.70% 385 127 33.00%

 2005年の国勢調査によれば、碧南市の各年代層における未婚率は、男性の場合20~24歳90.4%、25~29歳68.1%(全国平均は71.4%)、30~34歳46.2%(全国平均は47.1%)、35〜39歳31.0%、40〜44歳22.9%、45〜49歳16.9%。女性の場合20〜24歳81.7%、25〜29歳46.5%(全国平均は59.0%)、30〜34歳20.4%(全国平均は32.0%)、35〜39歳12.0%、40~44歳7.6%、45〜49歳5.2%であった。

全国の各年代層における未婚率の推移(%)
西暦年 25〜29歳 30〜34歳 50歳
男性 女性 男性 女性 男性 女性
1950 34.4 15.2 8 5.7 1.5 1.4
1955 41 20.6 9.1 7.9 1.2 1.5
1960 46.1 21.7 9.9 9.4 1.3 1.9
1965 45.7 19 11.1 9 1.5 2.5
1970 46.5 18.1 11.7 7.2 1.7 3.3
1975 48.3 20.9 14.3 7.7 2.1 4.3
1980 55.1 24 21.5 9.1 2.6 4.5
1985 60.4 30.6 28.1 10.4 3.9 4.3
1990 64.4 40.2 32.6 13.9 5.6 4.3
1995 66.9 48 37.3 19.7 9 5.1
2000 69.3 54 42.9 26.6 12.6 5.8
2005 71.4 59 47.1 32 15.4 6.8
国勢調査、人口問題研究所の資料より作成
注:50歳時の未婚率は「生涯未婚率」とも呼ばれる。

 合計特殊出生率(ごうけいとくしゅしゅっしょうりつ)とは、一人の女性が一生に産む子供の平均数を示します。女性が出産可能な年齢を15歳から49歳までと規定し、それぞれの出産率を出し、足し合わせることで、人口構成の偏りを排除し、一人の女性が一生に産む子供の数の平均を求めます。仮に、調査対象における男女比が1対1であり、すべての女性が出産可能年齢以上まで生きるとすると、合計特殊出生率が2であれば人口は横ばいを示し、これを上回れば自然増、下回れば自然減となるはずです。 しかし、実際には生まれてくる子供の男女比は男性が若干高いこと、出産可能年齢以下で死亡する女性がいることから、現代先進国においては自然増と自然減との境目は2.08程度とされています。また、乳児死亡率が高い、戦争状態などでは人口維持により高い合計特殊出生率が必要となります。

 碧南市の合計特殊出生率は、衣浦東部保健所の資料によると平成14年1.52、15年1.59、16年1.68、17年1.44、18年1.57、19年1.42、20年1.58、21年1.50と推移しています。

 厚生労働省の作成した市町村別合計特殊出生率によると、碧南市は1.65で、愛知県35市の中で4番目に高いということになります。これは、国勢調査の年である平成17年を中心とした平成15年〜平成19年のデータを取りまとめて作成したものです。
順位 市名 合計特殊
出生率
順位 市名 合計特殊
出生率
1 知立市 1.7 20 知多市 1.42
2 高浜市 1.69 21 日進市 1.41
3 東海市 1.68 22 弥富市 1.39
4 碧南市 1.65 23 一宮市 1.38
5 刈谷市 1.63 24 蒲郡市 1.37
6 安城市 1.6 25 津島市 1.36
7 豊川市 1.57 26 尾張旭市 1.36
8 北名古屋市 1.55 27 豊明市 1.36
9 田原市 1.52 28 江南市 1.35
10 豊田市 1.51 29 新城市 1.35
11 岩倉市 1.51 30 犬山市 1.32
12 岡崎市 1.49 31 稲沢市 1.3
13 豊橋市 1.48 32 名古屋市 1.25
14 清須市 1.48 33 常滑市 1.22
15 大府市 1.47 34 愛西市 1.18
16 西尾市 1.46 35 瀬戸市 1.17
17 春日井市 1.45 愛知県全体 1.39
18 半田市 1.42 全国 1.31
19 小牧市 1.42

 ちなみに、厚生労働省が作成した都道府県別合計特殊出生率(2006年)は以下の通りです。これによると愛知県は1.36で全国第26番目ということになります。

順位 県名 合計特殊
出生率
順位 県名 合計特殊
出生率
1 沖縄県 1.74 25 石川県 1.36
2 宮崎県 1.55 26 愛知県 1.36
3 島根県 1.53 27 茨城県 1.35
4 鳥取県 1.51 28 岐阜県 1.35
5 鹿児島県 1.51 29 三重県 1.35
6 福井県 1.5 30 秋田県 1.34
7 佐賀県 1.5 31 富山県 1.34
8 熊本県 1.5 32 山梨県 1.34
9 福島県 1.49 33 和歌山県 1.34
10 長崎県 1.49 34 高知県 1.33
11 山形県 1.45 35 青森県 1.31
12 大分県 1.45 36 徳島県 1.31
13 長野県 1.44 37 福岡県 1.3
14 香川県 1.42 38 兵庫県 1.28
15 滋賀県 1.41 39 宮城県 1.25
16 栃木県 1.4 40 埼玉県 1.24
17 岡山県 1.4 41 千葉県 1.23
18 山口県 1.4 42 神奈川県 1.23
19 岩手県 1.39 43 大阪府 1.22
20 静岡県 1.39 44 奈良県 1.22
21 新潟県 1.37 45 京都府 1.19
22 広島県 1.37 46 北海道 1.18
23 愛媛県 1.37 47 東京都 1.02
24 群馬県 1.36 全 国 1.32

 碧南市における各国政選挙における票の状況
 平成8年10月衆議院選挙、選挙区、自由民主党(大村)1万6千票、新進党(島)1万票、共産党3千票、比例、自由民主党1万1千票、新進党1万票、民主党3千票、共産党3千票、社会民主党1千票
 平成12年6月衆議院選挙、選挙区、自由民主党(大村)2万票、民主党(島)1万1千票、共産党2千票、比例、自由民主党1万2千票、民主党1万票、公明党3千票、自由党3千票、共産党3千票、社会民主党2千票
 平成15年11月衆議院選挙、選挙区、自由民主党(大村)2万1千票、民主党(島)1万2千票、共産党2千票、比例、自由民主党1万4千票、民主党1万3千票、公明党4千票、共産党2千票、社会民主党1千票
 平成17年9月衆議院選挙、選挙区、自由民主党(大村)2万3千票、民主党(島)1万3千票、共産党2千票、比例、自由民主党1万7千票、民主党1万2千票、公明党4千票、共産党2千票、新党日本2千票、社会民主党1千票
 平成19年7月参議院選挙、選挙区、自由民主党(鈴木)1万票、民主党(大塚)9千票、民主党(谷岡)6千票、公明党5千票、共産党2千票、社会民主党1千票、比例、自由民主党1万票、民主党1万4千票、公明党4千票、共産党2千票、新党日本1千票、社会民主党1千票
 平成21年8月衆議院選挙、選挙区、自由民主党(大村)2万2千票、民主党(大西)1万9千票、比例、自由民主党1万3千票、民主党1万8千票、公明党3千票、共産党2千票、みんなの党2千票、社会民主党1千票

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(2)碧南市以外関係

 1600年ごろ日本の人口は、1,200万人、その後平和が続き、1700年ころには、3,000万人に達した。このころに江戸の人口も100万人を超え、世界最大の都市であった。世界の人口は、1960年代、30億人、2009年、67億人、2050年には90億人と予想。
 日本の合計特殊出生率(1人の女性が一生の間に生む子供の数の平均)で、人口を維持できる数値は2.08、終戦後すぐは、4.5、1950年代は3以下、1975年には2以下になり、2005年が、1.26と最低に落ち込み、2006年1.32、2007年1.34と推移している。

 生涯未婚率というのは、50歳の時点で一度も結婚をしたことのない人の割合で、国立社会保障・人口問題研究所によれば、2005年のデータでは、男性の生涯未婚率は16%弱、6人に一人、女性は7%強、14人に一人となっている。

 平成21年5月現在で、全国の市区町村の数は、782市、23区、802町、191村で、計1,799である。

 わが国の人口減少は2005年より始まっている。人口問題研究所の推計によると、2055年には、現在の3割減の9,000万人となる。

 中国古典「大学」の伝七章から伝十章までの冒頭に上げられている言葉「修身・斉家・治国・平天下」(身を修め、家庭をととのえ、国を治め、天下を平和に導く)。世界を平和にしようとするならば、先ず自国を治めなければならない。自国を治めようとするならば、先ず自分の家庭を整えなければならない。自分の家庭を整えようとするならば、自己の修練をしなければならない。という意味。

 碧南市哲学たいけん村無我苑名誉村長である梅原猛さんの「仏になろう」(2009年11月朝日文庫新刊)に仏教のことが分かりやすく解説されている。その本の中で、仏教の教えの中でやってはいけないこととして10の事項を挙げている。それは、@人を殺してはいけない、A盗みをしてはいけない、Bよこしまなセックスをしてはいけない、C嘘をついてはいけない、Dきらびやかな言葉を使ってはならない、E人の悪口を言ってはいけない、F二枚舌を使ってはいけない、G物惜しみしてはいけない、H怒ってはいけない、Iよこしまな見解を抱いてはいけない、である。また、同書の中で、「旧約聖書」のモーセの十戒が紹介されており、その内のE殺してはならない、F姦淫してはならない、G盗んではならない、H隣人に関して偽証してはならない、となっているとのこと。仏教の開祖である釈迦は紀元前6世紀ころの人、モーゼは紀元前13世紀ころの人であり、この二人がほぼ同じことを言っているのは、偶然の一致なのか。
 ちなみに、世界の四聖とは、孔子(紀元前6世紀ころの人)、釈迦(紀元前6世紀ころの人)、ソクラテス(紀元前5世紀ころの人)、イエス(この人が生まれた年を西洋暦紀元元年という)とのこと。

 哲学者の西田幾多郎は、思索する時は、脂汗を流して思索する。頭が疲れると本を読んだ。普通の学者は、だいたい頭の一番はっきりしている時に本を読み、疲れるとつまらないことをやっている。(哲学者梅原猛言)

 「自分と考え方が合う人には敬意を払うけれど、相手がどんな権力者であろうと、自分の信念に合わないことは批判するのが、本当の学者だ」「哲学とは本来、『人間はいかにあるべきか、どのように生きるのが人間にとって理想なのか』ということを、みずからの言葉で語る学問です。ところが、日本のほとんどの哲学者は外国の哲学の研究を主としていて、自分の考え方、価値観をほとんど語ることができません。・・・・・・・・・つまり、日本の人文科学は『奴隷の学問』であり、哲学はほとんどカントやマルクス、プラトンの奴隷で、国文学などは賀茂真淵や本居宣長の奴隷だった」「学者は真理に仕える身であり、真理の使徒であるにもかかわらず、その気概に乏しい学者が少なくありません。」「私は、『ボスの顔を見るな、真理の顔を見ろ』と、事あるごとに話してきましたが、最近では、そんな気概のある学者が少なくなってきた」(PHP出版「リーダーの力量」梅原猛談)

 「日本書紀」神代上第8段1書には、スサノオは朝鮮から来たと書かれている。スサノオがヤマタノオロチを斬った刀は「韓鋤の剣」であるという。韓鋤の剣とは、韓国から伝来した小刀のことを指す。出雲王朝が最も尊い祭器としたのはおそらく銅鐸であるが、考古学者の佐原真氏によれば、銅鐸の源は馬の首に着けた朝鮮の馬鈴であるという。
 出雲の国を植民地として荒廃させた越の豪族が、韓の国からやってきたであろう神であるスサノオに退治されたと解釈すれば、ヤマタノオロチ伝説はよく理解できるのである。
 また、オオクニヌシはスサノオの7代目の子孫となっている。
 まず、イザナギ、イザナミが「大倭豊秋津嶋」、すなわち日本本州をはじめとするさまざまな島々を生み、そして国生みを終えると、次に日本国にいるさまざまな神を生んだ。そして、最後に三貴子といわれるアマテラス(女神、太陽を象徴する、天皇家の祖神、伊勢神宮の内宮に祀られている)、ツクヨミ(男神、月を象徴する)、スサノオ(男神)を生んだ。
 日向神話は、アマテラスの孫ニニギが日向の高千穂に降臨して以来3代を経て、ひ孫カムヤマトイワレヒコ、すなわち神武天皇が東征の旅にでて、ついにヤマトを占領し、天皇家の祖となる話。
 出雲王朝はスサノオから始まった。
 「古事記」を素直に読む限り、アマテラスを開祖とするヤマト王朝の前に、スサノオを開祖とする出雲王朝が、この日本の国に君臨していたと考えねばならない。
 イザナギ、イザナミはその子孫によって二つの系統の神々に分かれた。一つは、イザナギ、アマテラス、ニニギのヤマト王朝の系統である。そしてもう一つは、イザナミ、スサノオノ、オオクニヌシの出雲王朝の系統である。前者は日本を支配する光の神であり、後者は一旦は成功をおさめるが、最後には悪神となり、根の国へと行かざるをえない神である。
 「古事記」においても「日本書紀」においても、スサノオに始まる出雲王朝がオオクニヌシという偉大な王によって、越や大和をも支配する大国となり、その巨大な国をヤマト王朝の祖ニニギに譲ったという神話を語ることを主目的とした。「古事記」を虚心に読むかぎり、出雲王朝がヤマトをも支配したことはほぼ確実であると思われる。
 オオクニヌシとスクナヒコナの最大の功績は、日本に医療をもたらしたことである。おそらくスクナヒコナは朝鮮から先端の医療技術を持ってきて多くの人命を救ったのであろう。その医療技術は、作物に害を及ぼす鳥獣や害虫を駆除するのに有効であったと思われる。そのことを多くの人が感謝していると、「日本書紀」は記している。そのような医療に関する施設の一つが、スクナヒコナが発見し、温泉療法を伝えたという、玉造温泉である。
(以上、「葬られた王朝、古代出雲の謎を解く」梅原猛著、新潮社刊より)

 日本に仏教が入ってきたのは、欽明天皇の時代、西暦552年である。仏教は、紀元前5世紀頃、釈迦によって始められた。仏教が中国に入ったのは、後漢の明帝の時代、紀元1世紀頃。奈良時代の仏教はまだ輸入仏教の性格が強く、仏教が真の意味で日本的な仏教になったのはやはり平安仏教から、すなわち最澄、空海、特に最澄の仏教からではないか。

 現代の人々はほとんどみな「歎異抄」という本についてよく知っている。「歎異抄」と言えば親鸞、親鸞と言えば「歎異抄」という連想が自然に浮かんでくる。だが、実は一般の人に「歎異抄」が知られるようになったのはほんの最近、今からわずか7、8十年前の明治の末のことにすぎないのだ。東本願寺の僧であり宗教改革者でもあった清沢満之が「歎異抄」に注目し、それを熱愛し賞揚して以来、俄然、宗門の人たちばかりでなく、広く一般の人にも知られるようになった。「歎異抄」の普及は、清沢満之および近角常観、暁烏敏、曽我量深、金子大栄といった彼の友人や弟子たちの努力に負うところが大きい。そして今では、東本願寺ばかりか、西本願寺を含め、真宗学者の中で「歎異抄」について触れない者などないまでになった。宗門の学者ばかりではない。昭和に入ってからも、三木清、服部之総、吉川英治、丹羽文雄その他、数多くの学者たちや作家が「歎異抄」について多くの書物や論文を書いて「歎異抄」を礼讃したのである。
(以上、「三人の祖師―最澄・空海・親鸞」梅原猛著より)

 平成22年2月12日に、哲学たいけん村「無我苑」にて、哲学者小川侃(ただし)先生(京都大学名誉教授、人間環境大学特任教授)に名誉村長「梅原猛」についての講演をしていただいた。小川先生は、久野昭先生(哲学たいけん村無我苑顧問、広島大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授)の友人です。その小川先生の「環境と身の現象学」(晃洋書房)という本の中で次のように書いています。また、小川先生は講演当日、私にこの部分を特に熱っぽく語っておられました。「坂本竜馬が行った薩摩と長州の連盟などは、当時すでに言論の世界では常識であった。つまり、幕府を倒すためには、薩摩と長州が同盟を結んでことに当たるべきだという議論は、当時おおくの人々のあいだに浸透していた。しかし、これは単に言論のうえでのことであり、それを実行に移すのは非常に困難であった。当時においてもしカトリックとプロテスタンの二つのキリスト教会が統一されたとしたら、とか、あるいは、ソ連とアメリカが同盟を結んだら・・・・などという言葉の上での理論はあるがその実行がいかに難しいかを彼(司馬遼太郎)は強調していた。坂本竜馬が克服したのは、理論を提示することにおける困難ではなく、行為においてまったく新しいことをこの世に実現するという困難であった。(中略)人間の行為の次元を三つに分けて、それらを下の秩序からのべると、労働、制作、行為とした。労働は消費されるものを作ることである。それは結局空しい仕事である。これにたいして制作は、永遠に価値のあるものを作り出すこと、芸術の創造行為や創作や思索や思想形成である。しかるにハンナ・アレントが最も高いランクにおいた行為こそは、人間たちのあいだの意見の調整や、新しい組織をつくるという優れて政治的な活動なのである。思想よりももっと重要なのは政治的な『行為』であり、その実践的な活動による新しい制度の実現なのである。」

 東西冷戦の象徴であったドイツ・ベルリンの壁が崩されたのは、1989年11月9日であった。1990年に東西ドイツが統一された。

 独立行政法人国際協力機構(JICA)よりの青年海外協力隊員についての情報
 (全国)派遣中隊員数2573人(内女性1,578人、61%)、帰国隊員数29,895人(内女性12,412人、42%)
 (愛知県)派遣中隊員数145人(内女性83人、57%)、帰国隊員数1,504人(内女性621人、41%)

 地方自治における二元代表制とは、首長も議会も住民の直接選挙で選ばれ、首長は執行機関、議会は議決機関として、車の両輪のように地方自治に「共同責任」を負っているという意味である。リコールは、地方自治特有の制度で、住民の直接民主制を体現するわけで、首長自らが議会のリコールを求めるのは法の想定外である。

 1993年に細川連立政権が発足している。1996年以降は小選挙区制となったが、その特徴のひとつは、「勝つときは大勝ちするが、負ける時は大負けする」。
 政権交代の大前提は、与野党間で外交・安保政策でほぼ共通戦略があること、政権が交代するたびに外交・安保政策が変わってしまうことになれば、国際社会からの信頼を失う。資源のない日本は国際社会の中で製品等を売ったりしながらしか存在できない。

「過去の首相で、危機のときにリーダーシップを発揮しえたかもしれないのは、佐藤栄作、吉田茂、小泉純一郎、中曽根康弘の4人だけだろう。この4人の共通点は在任期間が長いことと、党内の異論を無視できたことだ。」(週刊東洋経済2010年5月14号、国際公共政策研究センター理事長田中直毅言)

 一般財源とは使途の制約のないもので、地方税や交付金。特定財源とは、使途に制約のあるもので、国庫支出金や地方債。

 消費税は、1989年4月より3%でスタート、1997年に5%に改定された。

 江戸時代は300以上の藩があった。靖国神社には246万6千余の英霊が祀られている。

 江戸末期、寺子屋は、全国で1万4千程度あった。当時の人口は3,000万人。現在、全国の小学校は23,000校程度。一般庶民の識字率は大変高かった。

 全国には、コンビニエンスストアが45000店、神社が81000社、寺院が77000カ寺あるという。

「明治以後の日本人の道徳的心性について考えるとき、江戸時代の道徳の影響を無視できないであろう。江戸時代において、武士階級には主として儒教道徳が教えられたが、庶民は寺子屋で仏教道徳を教えられた。」「梅原猛、中日新聞平成24年10月29日夕刊」

 地域独自の料理(ご当地グルメ)、安くておいしいものは「B級グルメ」と呼ばれている。

 法務省の発表では、2008年末の外国人登録者は220万人

 道徳教育をどのように行うかー世界や日本や郷土に貢献した偉人たちの伝記を整理し、それを学年別にわけ、副読本として配布し、道徳の時間にそれを使用しながら、人間に内在する真善美愛を求める心を引き出して、高邁な人格の形成を行う。等

 中国の4つの課題、@民族問題(現在の中国は、漢民族が55の他民族を支配している形となっている。チベット族、内モンゴル族、新疆ウイグル族等)をどのように解決するのか、A豊かになっていく13億5千万の人口をどのように統治し続けるか(共産党の一党体制で持つのか等、B都市と農村、成功者と貧民等、貧富の格差(上位1%の富裕層に国民全体の40%の富が集中しているとのこと)から発生する問題をどのように解決するのか、C少子高齢問題をどのように克服するのか(一人っ子政策の結果)

 中国の貧富の格差が拡大する理由、@労働分配率が40%程度と低い(アメリカ78%、日本62%)、A個人所得の累進課税は賃金所得に限定され、資産所得等の雑所得は対象となっていない、B不動産投機をけん制する不動産税等がない、C相続税がない等である。すなわち、所得を再配分する仕組みが大変弱いからである。(「東洋経済」2010年6月26日号より)

 2000年を100とする各国の国防費は、中国288、日本97である。GDP(国内総生産)に対する国防費の割合でいくと、日本は世界200ほどの国の中で140番目以下である。

 「制空権」と「制海権」は依然、我にあり、世界一流であると銘記すべきだ。
 202機のF15戦闘機隊は米国を除けば世界最強の制空戦闘機隊で、対空・対艦・対潜の三次元戦闘能力を備えたイージス艦6隻、ミサイル・ヘリ護衛艦8隻×4個隊の計32隻のシステム水上打撃艦隊も米国を除けば世界最強だ。このことは中国が一番良く知っている。決意を表明しさえすれば中国はリスクを取らない。数だけ多い中国海空軍恐るるに足らずの気概を日本人皆に持ってほしい。(佐々(ささ)淳(あつ)行(ゆき)・初代内閣安全保障室長の言)

「この国の人々は今までに発見された国民のなかで最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人々で、他の何ものよりも名誉を重んじます。大部分の人々は貧しいのですが、武士も、そうでない人々も、貧しいことを不名誉と思っていません」(1549年に日本にはじめてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルの言葉)

「婦人の貞操観念は堅く、ねたんだりしない。盗みをする者も少なく、訴えごとも少ない」(「魏志倭人伝」=3世紀後半に書かれた邪馬台国や卑弥呼のことを記した中国の書物より)

 世界の人が語る日本の素晴しさ、@日本の風景美―現在、世界の土地面積に対し、森林の占める割合は30%、日本は国土の64%が森林、アメリカは25%、中国は18%、日本は全国景勝地である、A道徳性の高さ、文化の高さ、頭の良さ、善良な品性―「日本人以外にこれほど純粋な人間の心を持つ人はどこにもいない。この国を愛し、尊敬すべきである」(アインシュタインの言葉)、B日本の文明は神話の時代から今に至るまでつながっている、C清潔である (「世界の偉人たちが贈る日本賛辞の至言」ごま書房より)

 ホテルやレストランにおける日本のホスピタビリティは、世界的にみても超一流。牛丼などの和製ファストフードからケーキや菓子パンに至るまで、日本の食文化の多様さ、おいしさ、こだわりようは海外の人を驚かせる。日本の居酒屋もメニューの多彩さやサービスレベルはミラクルといえる。日本式のコンビニは今やアジア中にひろがりつつある。楽天、ニッセン、千趣会など、通販各社も世界で十分勝負できる。公文式の学習塾は世界中で人気となり、今や海外の生徒数が国内の生徒数をうわまっています。日本の専門学校の教育やプログラムも日本構内だけの展開ではもったいない。中国の観光客は、日本にきてドラッグストアで大正漢方胃腸薬、資生堂化粧品、ユニチャーム等を大量に買っていく。日本の製品の方が安心、安全で安いと思っている。

 独社会学者マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、勤勉や奉仕の精神を持って経済活動をすれば発展すると説く。

 アメリカのエジソン「1%の霊感(インスピレーション)と99%の努力」は1000件以上の特許取得。

2011年旧暦での季節の表し方(24節気)
番号 日付(旧暦) 日付(西暦) 呼び方 意味
1 12月3日 1月6日 小寒(しょうかん) この日から寒の内
2 12月14日 1月20日 大寒(だいかん) 寒さが最も厳しい頃
3 1月2日 2月4日 立春(りっしゅん) 暦の上では春
4 1月17日 2月19日 雨水(うすい) 雪が雨に変わる頃
5 2月2日 3月6日 啓蟄(けいちつ) 冬ごもりの虫も目覚める頃
6 2月17日 3月21日 春分(しゅんぶん) 昼夜の長さが等しい
7 3月2日 4月5日 清明(せいめい) 万物が清清しい時期
8 3月18日 4月20日 穀雨(こくう) 穀物を育てる雨が降る頃
9 4月4日 5月6日 立夏(りっか) 暦の上では夏
10 4月19日 5月21日 小満(しょうまん) 草木が茂り始める頃
11 5月5日 6月6日 芒種(ぼうしゅ) 針のような毛を持つ穀物の種をまく頃
12 5月21日 6月22日 夏至(げし) 昼が最も長い
13 6月7日 7月7日 小暑(しょうしょ) 暑さが本格的になり始める頃
14 6月23日 7月23日 大暑(たいしょ) 1年で最も暑くなる頃
15 7月9日 8月8日 立秋(りっしゅう) 暦の上では秋
16 7月24日 8月23日 処暑(しょしょ) 暑さが落ち着く頃
17 8月11日 9月8日 白露(はくろ) 野の草に露が宿り始める頃
18 8月26日 9月23日 秋分(しゅうぶん) 昼夜の長さが等しい
19 9月13日 10月9日 寒露(かんろ) 露が冷気にあたって凍る頃
20 9月28日 10月24日 霜降(そうこう) 霜が降り始める頃
21 10月13日 11月8日 立冬(りっとう) 暦の上では冬
22 10月28日 11月23日 小雪(しょうせつ) 雪が舞い始める頃
23 11月13日 12月7日 大雪(たいせつ) 冬本番
24 11月28日 12月22日 冬至(とうじ) 昼が最も短い

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